相手の気持ちを"想像する"からズレていく。そのまま見られる私になる。
- 古澤 慎之介
- 2024年3月6日
- 読了時間: 6分
相手の気持ちを想像しなさい!
相手の気持ちを考えなさい!
小学生の頃、そういうことを親や先生がよく言っていたように思います。
大人になってからも、
「彼氏が私の気持ちを全然わかってくれない」とか
「あの部長は部下の気持ちを考えないから」というようなシーンもちらほら見かけるのではないでしょうか。

相手の気持ちを想像する。相手の気持ちを考える。
私自身も、よく相手の気持ちを考える方でした。
あ、この人、本当はこれをやりたくなさそうだな。
あ、この人、このことにあまり興味なさそうだな。
あ、この人、僕のこと嫌いなんじゃないかな。
などと、あれこれ想像しては(考えては)、
面倒を一人で抱え込んだり、
無難な会話だけをするようになったり、
その人にとっていい人になろうとしたり。
仕事でも、人間関係でも、
そんなことばかりやっていたように思います。
何となく損な役割をいつも担っていたように思いますが、
その度に「俺はいい奴だから」とか「自分の糧になるから」と、
それっぽいことを言い聞かせては、その時のモヤモヤを誤魔化していました。
この以前の私の事例から自分で想像した「相手の気持ち」という考えに支配され、
その影響を受けて、行動しているのがわかるでしょうか。
この「人の気持ちを想像する(考える)」というのは、
人の気持ちを妄想するのとほぼ同義です。
相手の気持ちと、相手の気持ちを自分が妄想したものは必ずしも一致しません。
一致しないが故に、妄想に引っ張られた行動が裏目に出たり、
ズレたりすることは多々起こります。
しかし、相手の気持ちを考えられる人・考えようとする人は、「善かれ」と思って行動していますので、そのズレた時の相手の反応に影響されてしまいがちです。
相手に期待した反応がないと「感謝がない」とか「私はあなたのことを思ってやっているのに」という気持ちが込み上げてくることもあります。
私自身、こういうことは多々ありました。
「あなたのことを考えて、これだけしてあげたのに」のような考えが湧くこともがあり、
それでも尚、それを相手に伝えると嫌な奴に思われるという、これまた妄想に囚われ、グッと我慢して気にしないふりをしていました。
相手の気持ちを想像している時、もはや相手と向き合ってなどおらず、
自分の妄想の中で右往左往、一喜一憂しているわけです。
私は自覚に出会うまでの40年間、こうして相手の気持ちを妄想しては、
その妄想に引っ張られて、面倒を引き受け、相手にとっていい人を演じ、
嫌われることを恐れ不満も口にできずにいました。
こういったことをしている人は、周りを見ていてもたくさんいらっしゃいます。
特に「優しい人」にそういう傾向があるように思います。
(厳密には、自分で作り出した考えに囚われ、影響されて、優しい人を"やっている人")
私自身もそうでしたが、生きづらさや窮屈さを感じている人も多いのではないでしょうか。
ただ、生きづらさや窮屈さを感じながらも、"優しい人"をやっている人は、相手のことを思いやる気持ちを持っている人は、その時点で、光明が差しているようにも見えます。
相手の気持ちを想像するのと、 相手の内側に起こっていることを見るのは全く別次元の理解がある。
相手の気持ちを想像するということは、
自分の考えを見ているにすぎないということは何となくでも伝わったかと思います。
さて、自覚を通じて、自分自身と向き合うことに卓越していくと、
自分の妄想に囚われることがなくなっていきます。
同時に、相手に起こっていることをそのまま見ることができるようになります。
相手の気持ちを考える(妄想する)のではなく、
その気持ちをあるようにする相手の在り方・心持ちに目が向くようになってきます。
そこには、何かしらの考え(都合・戒律・想定・記憶等)に囚われたそれがハッキリと浮かび上がっています。
自覚で自分自身ととことん向き合い、
様々な考え・都合などの囚われから、自由になっていくからこそ見える景色でもあります。
相手の気持ちを想像する(考える)という次元では
到底及ばない理解がそこでは起こります。
自覚は、何かを学ぶわけではありません。
自覚は、何かの手法ではありません。
自覚は、メソッドではありません。
自覚は、ハウツーでも教えでもありません。
自分自身ととことん向き合う先に、
全てを在るようにしている私に出会っていきます。
一切唯心造という禅語があります。
全ては心持ち一つという意味ですが、良い心を持とうとすしたり、
よからぬ心を戒めたりするのではなく、それを在るようにする私と向き合っていった時、初めてその言葉の真意がわかってきます。
勉強してわかるのではなく、そうなるからわかる。
しかし、なろうとすると、葛藤が生まれズレていきます。
なろうとせずに、なっている。
自覚の道では、どのような私も蔑ろにせず、
肯定も、否定も、判断もせずに向き合っていきます。
この記事は、人の気持ちを想像することを否定しているわけではありません。
人の気持ちを想像しようとできる人は、人を想うことができる人でもあります。
そういう方が自覚をし、あらゆる考え都合の囚われから自由になっていった時、
あなた自身が生きづらさや、葛藤をあるようにしていたと気が付きます。
そして、その時、生きづらさや葛藤は過去のものになっています。
同時に、あなたの周りにも、光が差し、温かい世界が広がっていくと確信しています。
本気で自分自身と向き合っていきたい方はいらしてください。
「向き合う」というのは、自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。思考や言動をあれこれと判断して、反省していると苦しくなります。
思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。そこには肯定も否定も判断もありません。
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